【授業】「板書を取る」の悲しい誤り
学校の授業では「板書を取る」ことを強いられます。
先生が黒板に書いたことをノートに写し取るという行為、いったい何の価値があるのでしょうか。
結論から言うと、価値なんてほとんどありません。
一応、控えめに「ほとんど」と言いましたが、正直に言うと全く価値を見出すことができません。
「板書を取る」とどうなる
まず、「板書を取る」という行為ですが、これは黒板に書かれたことをノートに写し取るというものです。
実はこの行為には大きな問題点が潜んでいます。
授業をする中で、子どもたちの授業への理解度を確認しながら、様子などをよく観察していると、ある一つのことに気付きます。
*気付いている先生は「板書を取る時間」をくれているはずです
聞きながら書くのは困難
黒板を写すとき、必ず手元を見る必要があります。下を向いてノートとペンを見ないと、普通は写し取れません。実はこれが問題なのです。
信じられないなら、試しにYouTubeを見ながら、その内容をノートにメモろうとしてみてください。YouTubeの画面を見ながらではなく、手元を見ながらです。
おそらく、できないはずです。私はできませんでした。メモを取りながら同時に話を聞くことができないのです。
授業をしていると、俯いて必死に黒板を写している生徒と、こちらを見ている生徒がいます。残念ながら、俯いている生徒、つまり懸命に黒板を写している生徒は話を聞けていません。
そして、悲しいことですが、ほとんどの生徒は俯いています…。ぼおっとすることなく必死で黒板を写しているので、一見「真剣に授業を聞いている」「真面目に授業を受けている」というふうに感じるかもしれませんが、実際には話を何も聞いていないのです。
板書を取っているとき、先生の授業は聞けていません!!
板書ノートの価値
授業で大切にしなければいけないことは「先生の話」です。正直、黒板に書かれていることはそれほど重要なものではありません。
誤解をしないで欲しいのですが、黒板に書かれているものに意味がないわけではありません。ではなく、ノートに写し取る価値がないのです。
板書に価値はない
どういう意味だと思われるかもしれませんが、板書にはそれほど価値がないのです。
理由は簡単です。世の中には、もっと綺麗に分かりやすく書かれた教科書、参考書や問題集があるからです。板書がこれらに勝るということはなかなかありません。
「定期試験」にだけ価値がある
定期試験は、学校の授業内容に則したテストです。そのため、板書が必要ですし、板書ノートを用いて対策するのが最も効率良い勉強法となります。
しかし、実力テストや模試、受験本番の入試問題には使えません。実際、学校の板書ノートを用いて受験勉強をするということは滅多に聞かないでしょう。受験勉強には、受験用の参考書や問題集が適しているのです。
大切なこと
大切にしなければならないことは「先生の話」です。もっと言うと、先生が懸命に伝えようとしていることを少しでも理解しようとすることです。
先生は、生徒たちに何か伝えたいことがあって授業を行っています。そして、少しでも分かりやすくするために、黒板に絵や図、メモなどを書いたり、身振り手振りで説明したり、目の前で実践したりするわけです。
大切なのは説明のために黒板に書いたものではないのです!
今の時代、いまだに板書を手書きで写し取っていることに違和感を覚えます。スマホなどで写真を撮るなり、授業後に生徒にメールするなりすればよいだけなのです。
(なぜ、そうしないんでしょうね。謎です!)
まとめ
「学び」のことを考えると、「板書を取る」よりも「先生の話を聞く」ことを重視しなければなりません。そちらの方が勉強には適していますし、学力が上がります。
意外かもしれませんが、授業中に板書を取らない「先生から見たら不真面目な生徒」はテストの点数が悪くなかったりします。板書を取らない代わりに授業をよく聞いているのです。
「板書ノートの提出」があれば仕方がありませんが、なければ板書なんてどうでもよいです。別に必要はありません。