【学び】学びの本質はどこにある/「プロセス」を大切に!

勉強法 教育

学びの本質とはどこにあるのでしょうか。もしくは、何なのでしょうか。

折角勉強をするなら、より価値があるものにしたいわけです。

悩みネコ
でも、どういう勉強をしたらいいのかニャ…

たまたま正しい勉強をしていれば良いですが、そうでなければ取り返しがつかないかもしれません。

この話をするときに、引き合いに出したい言葉があります。アインシュタインの残した次の言葉です。

教育とは、学校で学んだことをすべて忘れた後に残るものである
Education is what remains after one has forgotten everything they learned in school.
アルバート・アインシュタイン Albert Einstein

ここでは「教育(education)」となっていますが、「学び」のことだと考えて良いと思います。

アインシュタイン曰く、すべてを忘れた後に何か残るものがあるんだと。そして、その残るものが学びの場で得たものであると。

学んだことは忘れていく

どんなに懸命に学んだとしても、そのあと使わなければ急速に忘れていきます。

例えば、20年以上前の話ですが、私は次のような経験をしたことがあります。

大学3年生の秋ごろに塾講師をしようと面接テストを受けたときですが、英語のテストでseenが書けませんでした(驚愕!)。seeの過去分詞を空欄に埋めることは分かったのですが、seeの過去分詞を思い出せなかったのです。
seeが不規則動詞であることは分かりました。さすがにseedはおかしいですし。でも、I, my, me, mine と同じレベルのことが思い出せなかったのです。

大学受験が終わって2年半後くらいです。年齢で言うと20代前半でもっとも脳が活性化しているときと言えます。けれども、頭の中からsee, saw, seenを引き出すことができませんでした。

使わなければ、どれだけ勉強しても、そのときには当然だと思っていても、忘れてしまうわけです。悲しいことですが…

アインシュタインは肯定する

忘れてしまうこと自体は仕方がありません。これに抗うことはできないでしょう。

では、忘れてしまうなら学びに意味はないのでしょうか。

この疑問に対して、アインシュタインは「無駄ではない」と言います。表面上の知識としては消えてしまっても、何か残っているものがあるはずだと。

私はその通りではないかなと思っています

アインシュタインは否定する

けれども、アインシュタインは、学び(教育)を肯定している反面、否定もします。アインシュタインの言葉は次のように解釈することもできます。

学んだことが消えたときに何も残らないものは教育(学び)ではない

後に何も残らないような表面上だけの学びは、学びではなく、やっても仕方がないというわけです。
*何も残らないのを「学び」というのには抵抗を感じますが、ここでは気にせずにいきます。

でも、「何かが残る学び」と「何も残らない学び」はどうやって区別するのでしょうか。見極め方はあるでしょうか。

何も残らない学び① 詰め込み

何も残っていないように感じる学びの代表は「詰め込み」による勉強です。

「詰め込み」がそもそも否定的に扱われる理由が、何も残らないためです。試験のために詰め込んだのはいいですが、試験が終わると急速に忘れてしまって、何も残りません。当然ながら、ダメだと言われるわけですね。

受験前は仕方がないですが、それ以外では極力「詰め込み」はやめましょう!

何も残らない学び② 受動的な勉強

もう一つ、何も残っていないように見受けられるのが「受動的な勉強」、分かりやすく言えば「やらされた勉強」です。

強制的にやらされた勉強は、「勉強しました」という体裁を整えているだけなので、自分の身になっていることはまずありません。嫌々やって身に付くなんてありえませんよね。

嫌々させても残るものが何もなく、やっても仕方がないので「勉強をやらせる」ことは基本的には避けるべきでしょう。

何かを残すためには

では、何かを残すためにはどのような学びをするべきなのでしょうか。

私は、この答えは「問題を解くプロセス」にあると思っています。

「答え」を重要視するのではなく、「答えに至るプロセス」に重きを置くということです。ここでいうプロセスとは論理手順のようなものです。

 答えが求まればOK
 答えが求まるプロセス(論理手順)を重視

答えに至るプロセスを大切にすることで、学んでいる知識が周りの知識と有機的につながっていきます。私は、この有機的につながり合った知識のかたまりを「知識の総体」と呼んでいます。

この「知識の総体」はちょっとやそっとでは忘れたりしません。また、少し忘れたとしてもお互いにつながっていて補完し合っているので、完全に消えたりはしないのです。

なかなか言葉で言い表すことが難しいですが、これについてはまたどこかでお話できたらと思っています。

問いの答え

「学びの本質はどこにあるのか」という問いに対しての答えは、アインシュタインに言わせると「すべてを忘れたあとに残る何か」です。

そして私の中では、この「何か」とは「知識の総体」のようなもので、これを手に入れるためには「答えにいたるプロセス(論理手順)」が大切だと考えています。