【素質、センス】持って生まれた「才能」というのは無いらしいですよ(10,000時間の法則)
一度は誰でも思う疑問ではないでしょうか。
この問いに対して、社会を経験した多くの方はYESと即答すると思います。
才能、センス、素質といった「持って生まれた、人よりも秀でた能力」って、明らかにあるように思いますよね。「実はそんなものはないんだ」と言う方はあまりいないでしょう。ところが、これに対して驚くような調査結果があります。
どこの大学かは忘れてしまいましたが、大学入試の問題で出題されて知ったもので、マルコム・グラッドウェル(Malcolm Gladwell)が著書『Outliers』で紹介した内容になります。
内容は一言でいうと、才能(センス)が絶対的に必要だと思われている音楽の世界で、「才能」を見つけることはできなかったというものです。
原文に沿って、内容を紹介したいと思います。
*原文は読みやすさを重視して訳しています。
マルコムの主張
マルコムの扱うテーマは
持って生まれた才能というものはあるの?
Is there such a thing as innate talent?
これに対して、彼の主張は次のようになっています。
偉業を達成するためには「才能」と「練習」が必要である。しかし、才能ある者の経歴を見れば見るほど、「才能」の役割は小さく、「練習」の役割が大きいようなのである。
Achievement is talent plus preparation. The problem with this view is that the closer psychologists look at the careers of the gifted, the smaller the role innate talent seems to play and the bigger the role preparation seems to play.
どちらかというと、世の中の成功者に関連する記事は、成功した結果やその人の秀でた才能をフォーカスしがちだと感じます。けれども、成功者が直接発信している情報の多くは成功までの過程であり、その中には練習や努力といった話ばかりです。そう考えると、マルコムの主張は的を射ているかなと思います。
音楽の世界に「才能」はなかった
彼は主張の根拠として、心理学者アンダース・エリクソン(K. Anders Ericsson)の調査結果を紹介します。これが驚くべき結果になっています!
エリクソンの調査
プロを目指すヴァイオリニストたち
まず、ベルリンにある音楽大学Berlin’s elite Academy of Musicのヴァイオリニストを3つのグループに分けます。
・世界レベルのヴァイオリンソリストの卵たち(グループ①)
・上手であるだけのヴァイオリニストだち(ソロ演奏者は無理だがプロにはなれるであろう生徒たち)(グループ②)
・プロにはなれず、音楽の先生になるであろう生徒たち(グループ③)
With the help of the Academy’s professors, they divided the school’s violinists into three groups. In the first group were the stars, the students with the potential to become world-class soloists. In the second were those judged to be merely “good.” In the third were students who were unlikely to ever play professionally and who intended to be music teachers in the public school system.
プロ奏者(グループ①②)とそうでない人(グループ③)に分けて、プロ奏者はさらにソロ演奏者として活躍できるほどかどうかで分けたということです。「オーケストラの一員としてで終わる(グループ②)」のか「世界に名が知れ渡る(グループ①)」のかでは大きな違いだということです。
そして、これらのすべての生徒たちに同じ質問をします。「ヴァイオリンを手に取ってから今まで、どれぐらい練習をしましたか。」
All of the violinists were then asked the same question: over the course of your entire career, ever since you first picked up the violin, how many hours have you practiced?
これに対しての回答結果は次のとおりだったようです。分けたグループで、綺麗に結果も分かれたようです。
どのグループの生徒もスタートはほぼ同じで、5歳頃からやり始めていた。最初の2,3年は、みんな同じく週2,3時間程度の練習であった。しかし、8歳になる頃から、明らかに違いが現れはじめた。エリートたち(グループ①)は、他のみんなよりも多くの練習をし始めたのだ。9歳までは週6時間、10歳から12歳までは週8時間、13歳と14歳のときは週16時間、そしてどんどん増えていき、20歳までには、彼らは、つまり、目的意識をもって、一つのことだけを追って、もっと上手くなりたいという意志を持って、週30時間以上も練習するようになっていた。つまり、20歳になるまでにエリートたち(グループ①)はトータル10,000時間の練習量になっていたのだ。
Everyone from all three groups started playing at roughly the same age, around five years old. In those first few years, everyone practiced roughly the same amount, about two or three hours a week. But when the students were around the age of eight, real differences started to emerge. The students who would end up the best in their class began to practice more than everyone else: six hours a week by age nine, eight hours a week by age twelve, sixteen hours a week by age fourteen, and up and up, until by the age of twenty they were practicing – that is, purposefully and single-mindedly playing their instruments with the intent to get better – well over thirty hours a week. In fact, by the age of twenty, the elite performers had each totaled 10,000 hours of practice.
書かれている時間を計算すると確かに10,000時間ちょっとになっています。ただ言うのは簡単ですが10,000時間というのはなかなかです。1日3時間をさぼらず1年続けて1,000時間です。それを10年休むことなく続けてようやく10,000時間です!
- 1日3時間
- それを1年続けて1,000時間
- さらに10年続けて10,000時間
対照的に、上手なだけな生徒たち(グループ②)は8,000時間、未来の音楽の先生たち(グループ③)はたった4,000時間ちょっとであった。
By contrast, the merely good students had totaled 8,000 hours, and the future music teachers had totaled just over 4,000 hours.
グループ①のいわゆるエリートたちに比べて、グループ②、グループ③は明らかにトータル時間が異なります。エリートというと「才能にあふれた」という風に聞こえますが、実際には努力の塊みたいなものだということです。「エリート」という言葉の認識を改める必要があるかもしれません。
プロとアマチュアの違い
また、エリクソンはピアニストのデータも収集したようで、こちらはアマチュアとの比較がなされています。
エリクソンはアマチュアとプロのピアニストも比較しました。すると同じパターンが現れました。アマチュアは子供の頃は週3時間以上は練習しておらず、20歳まででトータル2,000時間でした。かたやプロのピアニストたちは、毎年着実に練習時間を増やしていき、ヴァイオリニストと同じく20歳までに10,000時間に達していたのです。
Ericsson and his colleagues then compared amateur pianists with professional pianists. The same pattern emerged. The amateurs never practiced more than about three hours a week over the course of their childhood, and by the age of twenty they had totaled two thousand hours of practice. The professionals, on the other hand, steadily increased their practice time every year, until by the age of twenty they, like the violinists, had reached ten thousand hours.
持って生まれた素質がもっとも必要であると感じる芸術(音楽)の世界でこの結果は驚きです。
例外はなかった!
ここまでの話を聞くと、都合のよいデータだけ集めたんじゃないのと思うかもしれません。それに対しても言及されています。
結果から言うと、トータル時間が10,000時間に達していないのにグループ①に属した人も、トータル時間が10,000時間以上なのにグループ①に属せなかった人も皆無であったとのことです。
これには本当に驚きです!まさに「才能」なんて関係ないんだという結果だと言えます。
印象的なのは、エリクソンらは調査の中で「持って生まれた素質」を見つけることが全くできなかったことである。つまり同僚が練習している時間の幾分かだけの練習で努力なしにトップに躍り出た音楽家は皆無だったのだ。また、「ガリ勉タイプ」を見つけることもできなかった。つまり、人より懸命に努力したのにトップランクの序列を壊すのに必要なものを手に入れられなかった者もいなかったのだ。
The striking thing about Ericsson’s study is that he and his colleagues couldn’t find any “naturals,” musicians who floated effortlessly to the top while practicing a fraction of the time their peers did. Nor could they find any “grinds,” people who worked harder than everyone else, yet just didn’t have what it takes to break the top ranks.
音楽の世界でさえ「素質」というものを見つけられなかったとしたら、どの世界にも無いのではと思います。
マルコムの結論
最後に、エリクソンの調査結果から、マルコムは次のように結論を出します。
彼らの調査から分かることは、音楽家を目指す人がトップの音楽学校に入学できるだけの能力を持っているなら、他の演奏者との違いを特徴づけるのはどれぐらい懸命に練習したかである。それだけなのだ。さらに付け加えるなら、本当にトップの人たちは、他のものより懸命に、もしくはずっと懸命に練習しているというのではなく、ずっと果てしなく懸命に練習しているのである。
Their research suggests that once a musician has enough ability to get into a top music school, the thing that distinguishes one performer from another is how hard he or she works. That’s it. And what’s more, the people at the very top don’t work just harder or even much harder than everyone else. They work much, much harder.
調査結果から導ける結論を素直に書いてある感じですね。なにせ、練習は超大事ということです。
「才能」より「練習」
どの世界にも「才能」や「センス」という言葉は出てきがちです。でも、それは「気にしたら負け」な気がします。
長年、受験指導をしている中で「勉強の才能」という言葉を幾度となく聞いてきました。そのとき、いつも返す言葉は
僕自身は、マルコムが最初に主張した「才能より練習の方が大きい役割を果たしている」というのが好きです。
- たとえ才能があっても、練習しなければ成せない。
- たとえ才能がなくても、練習すれば成せる。
僕はこれが正しいと思うし、それゆえに「この世界で生きていて楽しい」と感じることができていると思います。
*ここで紹介したものは、よく「10,000時間すれば成功できるんだ」といった内容で紹介されています。もちろん、マルコム自身もこの内容を紹介しているタイトルを「The 10,000-Hour Rule」としています。けれども、僕はそれよりも「『才能』なんて瑣末なものだ」というのが心に響きました。